トップページ取組み・活動THE DRUGSTORE STORY 「ドラッグストアで生まれた幸せの物語」#09

#09:あの日、あの時、あの場所で、

 当時、私たち家族は夫の仕事の都合で福島県に住んでいました。
2011年3月11日。今までの経験はおろか、想像したことすらない大きな揺れが私たち家族を襲いました。
激しい揺れの中、私は1歳1ヵ月の息子を無我夢中で抱え上げアパートの駐車場に逃げ、なんとか事なきを得ることが出来たのですが、本当に苦労したのはこの後のことだったと覚えています。
あって当たり前であるライフライン。電気、ガス、水道、その全てが止まりました。
結婚以来、転勤族だったため引っ越しの際邪魔になるかと思い、震災に対する備えなど一切考えたことすらありません。
食材は近所のスーパーからその日食べるものだけを。
雑貨は少しでも安いものを求めてドラッグストアで買っていましたので、買い置きなんてしていません。
でもまだ私の中では「ここは日本だからすぐに復旧して、いつものように戻るでしょ」、そんな考えでいました。
息子には残っていたミルクを与え、深夜までお客様の対応をしていた夫と私は何も食べずに寝たのを覚えています。
次の日になり、息子のミルクはどうしよう。おむつは? それより何より水がない……。
途方にくれる私のもとに夫が青ざめて帰ってきました。
「原発が爆発した。ここはやばい。逃げるぞ」
当時福島第一原発から近い我が家。泣きじゃくる子供を抱え、残りわずかのミルク缶とおむつを夫の車に詰め込んで、親戚を頼って関東に逃げました。

 私たち家族を受け入れてくれた親戚の奥さんが、とあるドラッグストアで働いていました。
今回の震災は東北だけでなく関東にも大きな被害をもたらしたはずですが、その奥さんは震災にあった次の日から出勤していたそうです。
「みんなが困っている時こそ店を開けよう」
なんでも、店長とそのドラッグストアで働くみんなでそう決めたそうです。
私たち家族もそのドラッグストアに並び、なんとか当面必要な水とミルクとおむつ、それと夫と私の食料を手に入れることができました。あの時のありがたさ。
自分たちの家族も大変なのにお客様のために働く店員の方のひたむきな姿に、私は本当に頭が下がりました。
そしてドラッグストアは、そこに行けばなんでも揃うと改めて気づきました。
その後、いろいろな人の手を借りて私たち家族は地元に戻ってきました。
まだ日本はあの日の前に戻っていないと思います。
あの日失ったものは大きく、戻ってはこない。それは事実だと思います。

 現在、私はドラッグストアで働いています。
「あの日の感謝を私もしたい」そう思えたから。
今後あのような震災が起こらないことが一番だと思いますが、起こらないとは思えません。
だから、私もあの日のドラッグストアの店員さんのように笑顔で頑張ってみようと思います。

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